乗りテツ旅行会の溝口駅長です。今回は、島根県の大社線廃線跡を紹介します。
1990年に廃止された旧国鉄・JR大社線。その終着駅である大社駅は風格ある木造駅舎が残されていて、観光名所となっています。私も大社駅だけは何度か訪ねたことがありますが、大社線の途中駅には行ったことがありませんでした。そこで、車で出雲へ来たついでに、出雲高松駅と荒茅駅の跡を探訪してきました。
大社線とは
大社線は出雲市駅と大社駅を結んでいた、全長7.5km、出雲市駅を除くと3駅だけの短い路線でした。
出雲大社への参詣路線であったため、急行出雲、大社、だいせんが乗り入れていた、華やかな時代もあったそうです。
しかし、そんな「いい時代」はいつまでも続きませんでした。
観光客がバスやマイカーに流れたことで収支が悪化。赤字ローカル線のひとつに転落し、JRに移行後の1990年4月1日をもって廃止となっています。
廃線跡の多くはサイクリングロードや自動車道に転用されており、当時の線形をとどめています。
旧大社線・出雲高松駅を探訪
出雲高松駅の地図
出雲市駅の西側で山陰本線と別れて、最初の駅が出雲高松でした。
出雲市駅から出雲高松駅跡まで、サイクリングロードがつながっているようです。
出雲高松駅の現状風景(2022年5月)
(上の写真)交差点名に高松駅の名が残っている。「えきまえばし」ではなく「えきぜんばし」と読みます。
高松駅前橋の北詰から、出雲市駅方向を望む。
車からチラ見したときは気づかなかったが、中央のこんもりしている草むらがホーム跡。
近づいてみると、ホーム跡のコンクリートがまっすぐに伸びています。
ホームの南端は草が刈られていて、ホームらしい姿をあらわにしています。
ホーム南端から大社駅方向を望む。
廃止時は1面1線でしたが、開業当初は交換可能な1面2線の駅だったそうです。その当時の面影が残っています。
跡地に駅名標は残されておらず、記念碑や案内板もありません。その代わりにあったのがコレ▲(上の写真)。
「旧大社線スタンプラリー」で設置された看板が、イベント終了後も放置されていました。
高松駅前橋に刻まれた駅の記憶
赤川に架かる高松駅前橋の欄干に、駅にまつわる写真が埋め込まれていました。
「さよなら大社線」のヘッドマークを付けた列車と「いずもたかまつ」の駅名標が写っています。
「ああ懐かしの高松駅」
こんな大きくて立派な木造駅舎があったのですね。
高松駅前橋から大社駅方向を望む。
この先、道路は急カーブしていて、線路跡と一致していないようでした。
旧大社線・荒茅駅を訪ねる
荒茅駅の地図
荒茅(あらかや)駅は、出雲高松駅と大社駅のあいだにあった駅です。
幹線道路から離れているため、車で行くと少々わかりにくいところにあります。
実際、私は通り過ぎてしまい、引き返す羽目になりました。
荒茅駅の現状風景(2022年5月)
出雲市駅方向を望む。左側に写っているのは、踏切の制御機器が入っていた箱。
「自衛隊前踏切」の文字がはっきりと読み取れる。すぐ近くに、陸上自衛隊出雲駐屯地が広がっています。
錆びた柵が立っていることで、駅入り口の雰囲気をとどめています。もともと駅舎はなく、無人駅だったそうです。
荒茅駅の全景。ホームは1面1線で、見た感じ、2両分の長さしかありません。
荒茅駅の場所を探していた時に、地元のおじさんに道を訪ねたところ、大社線の思い出話を聞かせてくれました(通学で大社線を利用していたらしい)。
「朝、大社駅に着いた急行だいせんが、折り返し、出雲市行きの普通列車として走ってたんだ。15両もあったから、駅まで行かずにホームをはみ出した車両のドアによじ登って乗り込んでたよ。」
今じゃあり得ないですが、大らかな時代だったんですね。15両編成の急行だいせん、見てみたかったなあ。
ホーム上から出雲市駅方向を望む。この駅も、駅名標や記念碑などはありませんでした。
ホーム南端から大社駅方向を望む。
「1958-3」という刻印がありました。
終着・大社駅へ
荒茅駅の次は、終点の大社駅です。こちらの記事をご覧ください▼
大社線の廃線跡めぐりは短時間で見どころ多し
今回は車を利用したため、1時間もかからずに全駅をまわれました。
しかし、駅のあいだもたっぷり見て回るなら、自転車を使うほうがいいですね。高低差はほとんどないですし、道路も整備されているので走りやすいと思います。
出雲市駅にレンタサイクルがありますので、時間が許すのであれば、往復15km走ってみてはいかがでしょうか。